● 4〜5世紀頃
マルケサス諸島ヒバの国から渡ってきたホツマツア王とその一族が初めて島に定住したとい言われている。
● 10世紀頃
イースター島を一躍有名にしたモアイ像の建設が始まる。モアイは先祖を神格化し石像として祭られたものという説や、権力の象徴として被支配部族に作らせたものなど様々な説がある。しかし、歴史を伝えるべき島民が絶えてしまったので、はっきりとしたことは分かっていない。
● 16〜17世紀頃
民族間の争いが起こり、“モアイ倒し戦争”が勃発したと言われている。 一説によると、自然破壊による食料難が原因ではないかとされている。
支配階級の長耳族が自らの権力を誇示するために、短耳族にモアイ像を作らせた。隔絶された世界で抑えられることのない支配欲は、1000体ものモアイ像を作らせた。しかし、モアイを運ぶためのコロや船の材料として島の木の殆どを伐採したため、土砂災害などに見舞われ作物が取れなくなってしまう。島は深刻な食料不足に陥り、モアイ建造の重労働で抑圧されていた短耳族はつい
に蜂起を試みる。ここに「モアイ倒し戦争」が勃発したという。
● 1722年4月5日
オランダ人提督、ヤコブ・ロッゲフェーンがこの島を発見する。 復活祭の日曜日だったので、イースター島と名付ける。
● 1770年
スペインのドン・フェリペ・ゴンザレスが来航。スペイン領となる。
● 1774年
イギリス人探検家ジェームス・クック来航。
● 18世紀
ペルー艦隊などにより、住民らは奴隷として連れ出されてしまう。後に生き残った少数の島民が帰されるが、彼らの持ち込んだ天然痘により島の人口が激減する。
この頃にモアイ倒し戦争により最後の1体が倒される。
● 1888年
1818年にスペインから独立したチリ政府が島を併合し、島の名を「パスクワ島」と改める。
● 1955年〜
モアイの修復が始まる。
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